思考実験としての出産

かつて偉大な先輩方が切り開いてくれた男女雇用機会均等法よりしばらくは、
女性は働くか産むかの二択を迫られることがありました。
それまでのそもそも働けなかった時を思えば大きな前進です。
それでも仕事はやめないにしても、産むなら仕事を減らす。
(減らさざるをえない。自ら減らしたい。どちらも表面上の結果は同じです。)
といった選択をする女性が多くみられました。
しかし今後の世の中を考えた時に、最近はまた新たに別の道を切り開いていく時期に来ていることを実感しています。
具体的には、当たり前のこととしてのさらなる選択肢の増加です。
たとえば、イクメンという言葉について、
評論家的な立場の人が
イクメンなんて言う言葉はなくなってしまうくらいに、
男性の育児参加が当たり前になればいい。という趣旨の発言をされたりしています。
もちろんイクメンという言葉が世の中に与えた影響についても十分認めたうえでのことでしょう。
しかし、さらにいうなれば、
男性が育児参加をしなくとも、もしくは男性だけでも家庭と仕事・社会生活が成立すればいいのではないでしょうか。
現在の日本では核家族化や高齢化社会が進み、女性を含む生産年齢にあたる人たちの社会的な負担は増しています。
そういった意味でイクメンという言葉は、男性が育児に参加しないとどうにもならない、女性が思うように働けない。
という側面からも発生した言葉であるようにも思われるのです。
そのようなことが少しでも減るよう、社会制度がもっともっと整備されることを切に願います。
現代の女性は、働きたい人の増加とともに、
働かなくてはいけない人も増加しているのです。
生物が子孫を残すことが当たり前である以上は、
そのことと社会生活の両立もさまざまの選択肢を経たうえで可能となるべく、
多角的な方面より大多数の意識をもってアプローチし続けることが大切だと思います。